「従業員は自分一人だけ。こんな小さな商売、売ろうにも買う人などいないだろう」——個人事業主や、社長一人で切り盛りする一人会社の経営者からは、よくこうした声を聞きます。結論から言えば、個人事業であっても一人会社であっても、M&A(第三者への譲渡)による売却は可能です。規模の小ささはそれ自体、売却を諦める理由にはなりません。

ただし進め方は形態によって異なります。個人事業は主に事業譲渡という方法により、一人株式会社は株式譲渡または事業譲渡により、一人合同会社は株式ではなく社員持分の譲渡や事業承継の方法を個別に検討することになります。この記事では、個人事業・一人会社が売却できる理由と、評価されるポイント、形態ごとの進め方の違い、売却前に準備しておきたいことまで整理します。

個人事業・一人会社でもM&Aで売却できる

「M&A」という言葉から、従業員数十人、売上数億円規模の会社同士の取引を思い浮かべる方は少なくありません。しかし近年は、個人や小規模法人が買い手となって数百万円〜数千万円規模の事業を譲り受ける「スモールM&A」が広がっています。譲渡側が個人事業主でも一人会社でも対象は変わりません。詳しくは小さな会社ほどM&Aが向いている理由でも解説しています。

買い手が求めているのは、規模の大きさそのものではなく、「ゼロから立ち上げる手間を省ける」ことです。既に顧客がいて、仕入先との関係ができていて、屋号や評判が地域に根付いている——そうした事業は、独立を考える個人や小規模法人にとって十分に魅力的です。大手仲介会社が小規模案件を扱いにくいのは、最低手数料の水準が案件規模に見合わないためであり、事業そのものに需要がないからではありません。後継者がいない会社の選択肢も参考にしてください。

売れる個人事業・一人会社の特徴

小規模事業の値段は、大企業のような複雑な財務分析ではなく、もっと素朴な基準で決まります。

第一に、顧客基盤です。長年の付き合いがある得意先や、リピート率の高い個人顧客との継続的な関係には経済的な価値があります。個人情報保護法を踏まえ、顧客情報は従前の利用目的の範囲内で取り扱う必要があり、交渉段階では顧客名の匿名化、開示範囲の限定、秘密保持、アクセス制限を行うのが基本です。

第二に、属人化していない仕組みです。売上の大半が社長自身の技術や人脈に依存している場合、社長が抜けた瞬間に事業価値も失われかねません。逆に、業務がある程度マニュアル化され、取引先との窓口が複数あれば、引き継ぎやすさが評価されます。

第三に、許認可や免許です。許認可そのものを自由に売買できるわけではなく、株式譲渡後も法人に残るのが原則で、代表者等の変更届が必要になるものもあります。事業譲渡では承継が認められるもの、買い手による再取得が必要なもの、売り手本人の資格で承継できないものがあり、評価の対象は許認可証そのものではなく営業を継続できる体制や要件充足の見込みです(一般論であり、最新の要件は所管庁に確認が必要です)。

個人事業と一人会社ではM&Aの方法が違う

進め方は、個人事業か一人会社か、そして法人形態によって異なります。「一人会社であれば株式譲渡」とは一括りにできません。

個人事業主の場合

個人事業には法人格や株式がないため、一般に事業譲渡と呼ばれる方法により、設備、在庫、屋号、営業権、ドメイン、契約上の地位などを個別に特定して買い手へ移転します。「名義変更をすれば承継できる」とは言えず、契約や許認可ごとに移転の可否と手続きを個別に確認する必要があります。

一人株式会社の場合

一人株式会社では、オーナー株主が保有する株式を譲渡する株式譲渡が選択肢になります。株式を買い手に譲れば法人格はそのまま存続するため、契約関係や許認可も原則として引き継がれます。

一人合同会社の場合

一人合同会社には株式がなく、譲渡の対象は社員持分です。定款の定め、持分譲渡についての承諾、社員・代表社員の変更登記といった手続きの要否を個別に確認する必要があります。

事業譲渡と株式譲渡とでは、従業員の雇用契約の扱いも異なります。事業譲渡で労働契約を譲受側へ移すには、原則として従業員本人の個別の同意が必要です(厚生労働省の資料等を参照)。一方、株式譲渡では雇用主である法人自体が変わらないため、株式の移転だけで雇用契約に直接の影響は生じません。

個人株主が一人株式会社の株式を譲渡する一般的なケース(一般株式等の譲渡)では、課税対象は譲渡代金全額ではなく、取得費及び譲渡費用を控除した譲渡益であり、原則税率は20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%)です。法人株主の場合は同じ課税関係にはなりません。個人事業の事業譲渡では、譲渡代金を在庫、設備、土地建物、営業権等に合理的に配分し、資産の種類ごとに所得区分及び消費税の取扱いが異なります。譲渡代金全額に一律の税率が適用されるわけではないため、契約締結前に税理士等の専門家へ税額の試算を依頼することが欠かせません。事業譲渡の消費税の取扱いは事業譲渡の消費税に注意でも解説しています。

売却前に準備する4つのこと

規模が小さいからこそ、事前の整理が交渉のスピードと価格の両方を左右します。次の点は、買い手を探し始める前に手をつけておきたい項目です。

  • 事業用と個人用の資産・支出を分ける。個人事業主は生活費と事業経費が混在しがちで、整理されていないと実質利益が見えにくくなり、評価が本来より低く見積もられる原因になります。
  • 契約書・許認可書類を一箇所にまとめる。賃貸借契約、取引条件、許認可の証書は買い手が最初に確認する資料です。
  • 属人化している業務を言語化する。頭の中の段取りを書き出すだけで、引き継ぎのしやすさが格段に上がります。
  • 売却の検討を、むやみに周囲へ話さない。取引先や従業員に伝わると無用な動揺や信用不安を招きかねません。相談は守秘義務のある専門家に絞ることが望ましいでしょう。

資料の整備状況や許認可・賃貸借の有無によって必要な期間は異なり、数週間で形にできる場合もあれば、それ以上かかる場合もあります。

個人事業・小規模会社の売却相場はどう決まる?

イメージをつかむために、帳簿上の事業用純資産2,000万円を、在庫・売掛金・設備・敷金・未計上債務等の時価修正後も時価純資産2,000万円と仮定します。個人事業主の生活費は通常事業経費ではなく、事業所得には事業主本人の労働による利益も含まれるため、売り手本人が現場業務を行う場合は譲渡後の代替人件費を控除した正常収益を営業権算定の基礎とします。年間正常収益を400万円、営業権を2〜3年分と見積もると、時価純資産2,000万円+営業権800万〜1,200万円で評価額の目安はおおむね2,800万〜3,200万円です。本例は計算の考え方を示すため営業権を2〜3年分と仮定したものであり、一般的な相場として断定するものではありません。実際の年数や営業権評価は収益の安定性、顧客との継続性、事業の属人性、業種等によって変わり、この数値例自体も実際の売却価格を保証するものではありません。

仲介手数料にも注意が必要です。レーマン方式の算定基礎、最低報酬、着手金、中間金の有無は支援会社ごとに異なります。当社では、契約上定める移動総資産額を算定基礎とし、最低報酬を500万円(税別)、基本合意時の中間金を成功報酬見込額の10%としています。詳細はサービス・料金ページをご確認ください。小規模案件では最低報酬の水準が実質的な負担割合を左右しやすく、案件規模と必要な支援内容に見合うか費用対効果を確認し、契約前に手数料体系を仲介会社ごとに比較することが重要です。

会社の規模と評価の考え方の全体像は会社売却の相場はいくら?で解説しています。なお、個人が会社や事業を買いたい場合の進め方は、別記事で解説予定です。

よくある質問

Q. 個人事業主から別の個人事業主へ事業を譲渡することはできますか。
A. 可能です。設備、在庫、屋号、営業権等を対象に譲渡契約を結ぶことができます。ただし賃貸借契約、取引先との契約、許認可、従業員との雇用契約は自動移転するとは限らず、承諾や届出、従業員本人の同意など個別の手続きが必要になる場合があります(中小企業庁の資料等を参照)。

Q. 従業員がいない事業でも買い手はつきますか。
A. つきます。一人で完結している事業は、買い手が引き継ぎ後の人員体制をゼロから設計できる点で、扱いやすいと評価されることもあります。

Q. 借入金が残っていても売却できますか。
A. 借入があること自体は障害になりませんが、扱いは方式によって異なります。株式譲渡では会社名義の借入金は会社に残りますが、売り手経営者の個人保証は自動的には解除されません。個人事業の場合、個人名義の借入金は事業譲渡だけでは自動的に移転せず、返済、借換え、金融機関の承諾を得た債務引受等を検討する必要があります。

まとめ——小さいことは売れない理由にならない

個人事業主や一人会社であることは、M&Aを諦める理由にはなりません。顧客基盤や仕組み、許認可といった「引き継ぐ価値のあるもの」があれば、規模や法人形態に関わらず買い手が見つかる可能性は十分にあります。自分の事業に何が残っているかを一度棚卸しし、専門家に相談したうえで現実的な選択肢を確認することが大切です。

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