「顧問税理士に自社株の相続税評価を出してもらったら9,000万円だった。うちの会社の値段は9,000万円ということか」——実は、そうではありません。相続税評価はあくまで税金を計算するための値段であり、M&Aで第三者に売却するときの価格は、まったく別の計算で決まります。そして両者は、同じ会社でも2倍、時には3倍近くまで違うことが珍しくないのです。

この記事では、なぜ2つの「値段」がこれほど違うのか、その仕組みを解説します。

相続税評価は「税金のための値段」

自社株の相続税評価額は、国税庁の財産評価基本通達というルールに従って計算されます。非上場株式の場合、会社の規模に応じて「類似業種比準方式」(上場している同業種の株価と比較する方法)と「純資産価額方式」(会社の純資産をベースにする方法)を組み合わせて評価するのが原則です。

ここで重要なのは、この計算の目的が「課税の公平」にあることです。誰が計算しても同じ答えになるよう、画一的なルールで機械的に算出します。たとえば純資産価額方式では、土地などの含み益がある場合、その含み益に対する法人税等相当額(38%。2026年4月1日以後の相続・贈与に適用され、それ以前は37%)を差し引いて評価します。将来売却したら税金がかかる分を先に引いておく、という考え方です。

つまり相続税評価は、「この会社が将来どれだけ稼ぐか」をほとんど織り込みません。過去の蓄積である純資産と、業種平均との比較で決まる、いわば静的な値段です。

M&A価格は「事業の稼ぐ力の値段」

一方、M&Aで買い手が支払う価格は、「この会社を買ったら、いくら稼げるか」で決まります。中小企業のM&A実務で広く使われるのが年買法(ねんばいほう)と呼ばれる考え方で、計算式はシンプルです。

M&A想定価格 = 時価純資産 + 営業権(実質利益の2〜5年分)

時価純資産とは、貸借対照表の純資産に、不動産や保険積立金などの含み損益を反映させたものです。そこに、会社が毎年生み出す実質的な利益の2〜5年分を「営業権(のれん)」として上乗せします。この営業権こそが、相続税評価にはほとんど反映されない「事業の稼ぐ力」の値段です。

営業権の年数は、利益の安定性や業種の将来性、社長への依存度などで変わります。詳しくは営業権(のれん)の評価方法で解説しています。

数字で見る「3倍近い差」が生まれる典型例

具体的な数字で比べてみましょう。次のような会社を想定します。

  • 簿価純資産:5,000万円
  • 土地の含み益:5,000万円
  • 営業利益(3期平均):2,500万円

相続税評価(純資産価額方式・簡易)は、含み益5,000万円から法人税等相当額38%を引いた3,100万円を純資産に加え、約8,100万円となります(実際には類似業種比準方式との併用でさらに変動します)。

M&A想定価格は、時価純資産1億円(5,000万円+5,000万円)に、営業権として利益2,500万円の3年分=7,500万円を上乗せし、約1億7,500万円(相続税評価の約2.16倍)。営業権を5年分と評価する買い手が現れれば、上乗せ分が1億2,500万円となり2億2,500万円(約2.78倍)に達します。

同じ会社なのに、8,100万円と1億7,500万〜2億2,500万円。約2倍から3倍近い開きです。利益がしっかり出ている会社ほど、この差は大きくなります。逆に、資産は厚いが利益が薄い会社では、M&A価格が相続税評価を下回ることもあります。

見落とされがちな「役員借入金」の存在

もうひとつ、2つの値段の差を広げる隠れた要因が役員借入金です。中小企業では、社長が会社に貸し付けたお金(役員借入金)が数千万円積み上がっているケースがよくあります。

相続の場面では、この貸付金は社長個人の相続財産として原則額面で課税対象になる一方、株式の評価上は会社の負債として純資産を押し下げます。つまり「株の評価は下がるのに、貸付金には満額課税される」という悩ましい構造です。

M&Aの場面では扱いが変わります。買い手は株式の代金とは別に、役員借入金を返済(または引き継ぎ)する前提で全体の投資額を考えるため、社長は株式の譲渡代金に加えて貸付金の回収も見込めます。仲介手数料の算定で「移動総資産」(譲渡価額+役員借入金等の有利子負債)という概念が使われるのも、この実態を反映したものです。役員借入金が大きい会社ほど、「相続で持ち続けた場合」と「M&Aで整理した場合」の資金の残り方の差は広がります。

なぜ顧問税理士は教えてくれないのか

「そんな大事なことなら、なぜ顧問の先生から聞いていないのか」と思われるかもしれません。これは顧問税理士の怠慢ではなく、職分の違いです。

顧問税理士の仕事は、適正な申告と税務上の評価であり、相続税評価額を正確に計算することはまさに本業です。一方、M&Aの売却価格は税務ではなく市場の話であり、買い手のニーズや業界の相場観という、日常の税務顧問業務の外側にある情報が必要になります。M&A価格の話が出てこないのは自然なことで、だからこそ、税務の値段と市場の値段の両方を扱える相手に一度尋ねてみる価値があるのです。

この差を知らないと起こる2つの「損」

第一の損は、売れる会社を廃業してしまうことです。「相続税評価が低いから大した会社ではない」と思い込み、後継者がいないからと廃業を選んでしまう。しかし稼ぐ力のある会社は、廃業すればゼロになる営業権の分だけ、M&Aなら高く売れたはずです。廃業とM&Aの手取りの違いは後継者がいない会社の選択肢で詳しく比較しています。

第二の損は、相続対策だけを進めて選択肢を狭めることです。相続税評価を下げる対策は重要ですが、それは「株を持ち続けて親族に承継する」前提の話です。M&Aで売却した場合の手取りと比較して初めて、どちらが家族にとって有利かを判断できます。比較の土台となる会社売却の相場観は会社売却の相場はいくら?をご覧ください。

なお、相続税評価や譲渡時の課税は個々の状況によって大きく変わります。実際の適用にあたっては、税理士等の専門家に必ずご確認ください。

特に差が大きくなりやすい会社の特徴

最後に、相続税評価とM&A価格の差が特に開きやすい会社の特徴を挙げておきます。①営業利益が毎年安定して1,000万円以上出ている、②役員借入金が数千万円規模である、③社歴が長く、取引先や許認可などの「帳簿に載らない資産」が厚い、④業種的に買い手の引き合いが強い(建設・運送・調剤・介護など)。ひとつでも当てはまるなら、2つの値段を並べて確認する価値は十分にあります。

まず「2つの値段」を両方知ることから

売る・売らないを決める必要はありません。ただ、自社株には「税金のための値段」と「市場での値段」の2つがあり、その差を知っているかどうかで、事業承継の選択肢の広さがまったく変わります。

知った結果、「やはり親族に継がせる」でも「いまは売らない」でも構いません。数字を持ったうえでの現状維持と、知らないままの現状維持は、意味がまったく違います。

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