中小企業の決算書を見ると、貸借対照表の負債の部に「役員借入金」が数千万円計上されている会社が非常に多くあります。資金繰りのために社長が自分のお金を会社に入れ、返してもらわないまま積み上がったものです。この役員借入金、会社を売却するときにどう扱われるかをご存じでしょうか。実は、手取りと手数料の両方に関わる重要な論点です。

役員借入金は「売却時に回収できる」

まず結論から。株式譲渡によるM&Aでは、役員借入金は原則として社長に返済されます。実務上の扱いは主に2つで、①クロージング(決済)時に会社の資金または買い手が用意した資金で一括返済する、②買い手が債権ごと引き継ぐ(社長が持つ貸付債権を買い手に譲渡する)、のいずれかです。

重要なのは、この返済・回収が株式の譲渡代金とは別枠だということです。たとえば株式の値段が1億円、役員借入金が5,000万円なら、社長が受け取る資金の総額は1億5,000万円。しかも貸付金の返済は「自分のお金が戻ってくるだけ」なので、原則として課税されません(株式の譲渡益には約20%の課税があります。詳しくは会社売却の税金をご覧ください)。

「株価が安く見える会社」ほど知ってほしい仕組み

役員借入金は会社の負債なので、その分だけ純資産を押し下げ、株式の評価額を小さく見せます。「うちは純資産がほとんどないから、売っても二束三文だ」と感じている会社の中には、実は役員借入金を足し戻すと厚い実態純資産を持っている会社が少なくありません。

買い手も、株価と借入金を合わせた事業全体の価値で投資判断をします。株価だけを見て「売る価値がない」と結論づけるのは早計です。

移動総資産——仲介手数料はどこにかかるか

ここで、仲介手数料の話が関わってきます。M&A仲介の成功報酬はレーマン方式で計算されますが、料率を掛ける「算定基礎」は会社によって異なり、株式価額ベース、譲渡価額ベース、そして移動総資産ベースがあります。

移動総資産とは、株式などの譲渡価額に、役員借入金その他の有利子負債を加えた金額です。当社もこの方式を採用しており、料率は移動総資産の5億円以下の部分が5%、5億円超10億円以下が4%、10億円超50億円以下が3%、50億円超100億円以下が2%、100億円超が1%、最低報酬は500万円(税別)です(このほか基本合意時に成功報酬見込額の10%を中間金としていただき、成約時に全額充当します)。

役員借入金が大きい会社では、株価ベースより移動総資産ベースの手数料の方が高くなります。なぜこの方式が使われるかといえば、仲介会社が動かしているのは株式だけでなく、借入金の処理を含めた事業全体の承継だからです。いずれにせよ、算定基礎の違いは手数料額に直結するため、仲介契約の前に必ず書面で確認してください(M&A仲介手数料の相場で詳しく解説しています)。

「債権放棄すればいい」の落とし穴

役員借入金の整理と聞いて、「社長が返済を諦めて債権放棄すれば、身軽になるのでは」と考える方もいます。確かに債権放棄は選択肢のひとつですが、税務上の落とし穴があります。

社長が債権を放棄すると、会社側では債務免除益という利益が計上され、法人税の課税対象になります。繰越欠損金(過去の赤字の蓄積)と相殺できる範囲なら税負担なく整理できますが、欠損金を超える放棄は納税を生みます。さらに、債務免除によって会社の純資産が増えると、他に株主がいる場合には株式の価値の移転とみなされ、贈与税の問題が生じることもあります。

つまり、役員借入金の整理には「M&Aで回収する」「計画的に返済を受ける」「欠損金の範囲で放棄する」など複数の道があり、どれが最適かは会社の状況次第です。金額が大きい場合は、必ず税理士等の専門家と出口を設計してください。

放置したまま相続を迎えると、もっと困る

役員借入金を整理しないまま社長が亡くなると、どうなるか。社長が会社に対して持つ貸付債権は相続財産となり、原則として額面で相続税の課税対象になります。会社にお金がなく、実際には回収できそうにない貸付金でも、原則は額面評価です。「株の評価は下がるのに、貸付金には満額課税される」——後継者不在で会社の先行きも決まっていない場合、この構造は遺族に重くのしかかります。

M&Aによる売却は、株式と貸付金を同時に、生前に、現金化して整理できる数少ない手段です。相続まで見据えた比較は自社株の相続税評価とM&A売却価格はなぜ違う?もあわせてご覧ください。なお、貸付金の相続税評価や債権放棄の課税関係は個別性が高いため、具体的な対策は税理士等の専門家にご確認ください。

逆パターンの「役員貸付金」は売却の障害になる

役員借入金とは逆に、会社が社長にお金を貸している「役員貸付金」が資産に計上されている会社もあります。こちらはM&Aで厄介者になります。

買い手から見れば、役員貸付金は「前オーナー個人への債権」であり、事業価値とは無関係の、回収に不安のある資産です。デューデリジェンスでは必ず指摘され、クロージングまでに社長が返済して精算するか、その分を譲渡代金から差し引くよう求められるのが通常です。長年積み上がった貸付金は一括返済が難しいことも多く、売却スケジュール全体の足かせになります。

決算書に役員貸付金がある会社は、売却を考える1〜2年前から、役員報酬との相殺などで計画的に解消しておくことを強くおすすめします。貸借どちらの向きであれ、「会社と社長の間のお金の貸し借り」は、売却前に整理しておくべき筆頭項目です。

まとめ——借入金込みで「全体の手取り」を設計する

役員借入金がある会社の売却では、株価・借入金の返済・税金・手数料の4つを一体で設計することで、手取りの全体像が初めて見えます。決算書に役員借入金がある方は、まず株価と借入金を合わせた事業全体の価値を確認するところから始めてください。

当社の簡易診断は年買法ベースの試算に加えて、相続税評価の目安も同時に表示します。役員借入金のある会社が最も知るべき「生前に整理した場合」と「相続まで持ち越した場合」の比較材料として、まず全体像の把握にお使いください。

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