「本社ビルと工場は先代が残してくれた大事な資産。会社を売るとしても、不動産まで手放すのは抵抗がある」——不動産を持つ会社のオーナーから、必ずと言っていいほど聞く言葉です。実は、この希望はM&Aの設計で叶えられます。それどころか、不動産を切り離した方が事業が売りやすくなるケースも多いのです。この記事では、その理由と代表的な手法を解説します。

こんな会社は切り離しの検討価値が高い

具体的には、次のいずれかに当てはまる会社です。①本社・工場・店舗の土地建物を自社保有しており、取得から20年以上経っている(含み損益が大きい可能性)。②不動産の時価が事業価値と同等以上ある(買収総額を押し上げている)。③売却後もオーナー家に安定収入を残したい。④立地が良く、将来テナントを入れ替えても収益が見込める。逆に、事業と不動産が一体不可分(その場所でしか成立しない事業)で買い手も一体取得を望む場合は、込みで売る方が素直です。

なぜ不動産があると売りにくくなるのか

買い手の立場で考えてみましょう。買い手が欲しいのは事業——顧客、人材、技術、収益力です。そこに時価2億円の本社不動産が付いてくると、買収総額はその分膨らみます。事業には魅力を感じても、不動産込みの金額では資金調達が難しい、あるいは投資回収の計算が合わない。こうして、不動産が重しになって買い手の裾野が狭まる現象が起こります。

特に、簿価の低い古い不動産に大きな含み益がある会社では、株式譲渡で会社ごと買うと将来の売却時の税負担(含み益への課税)まで買い手が引き受けることになり、その分の値引き(法人税等相当額の控除)を求められるのが通常です。オーナーとしては「不動産の価値がまるまる株価に乗らない」という不満につながります。

手法①:売却前に不動産を切り離す(賃貸化)

最もシンプルなのは、M&Aの前に不動産を会社から切り離し、事業会社には賃借させる形にすることです。切り離した不動産はオーナー個人や資産管理会社が保有し、売却後は新しいオーナーの会社から賃料を受け取ります。

この形の利点は3つあります。①事業だけの身軽な会社になり、買い手の裾野が広がる。②オーナーは売却後も不動産と賃料収入という安定資産を残せる。③立地の良い不動産なら、テナントを事業会社に限定せず、将来の活用の自由度も残ります。事業承継と老後の資産形成を同時に設計できる、実務で人気の高い形です。

手法②:会社分割で事業と不動産を分ける

不動産の切り離しには譲渡の形だけでなく、会社分割という組織再編の手法もあります。事業部分を新会社に切り出して(または不動産部分を別会社に移して)、事業会社の株式だけを譲渡する方法です。

会社分割は、一定の要件を満たす場合に課税の繰り延べが認められるなど、税制上の取り扱いが単純な売買と異なります。ただし、この要件の判定やM&Aとの組み合わせ方は極めて専門性が高く、実行の順序を誤ると想定外の課税が生じるおそれがあります。この手法を検討する場合は、必ず事前に税理士等の専門家を交えたスキーム設計を行ってください。

手法③:不動産ごと売って、買い手に選ばせる

逆の発想もあります。「不動産込み」「不動産なし(賃借)」の2パターンの条件を用意して買い手候補に提示し、相手のニーズに合わせて選ばせる方法です。自社で使う本社が欲しい買い手もいれば、身軽さを好む買い手もいます。選択肢を示せる売り手は、それだけで交渉の主導権を握りやすくなります。

数値例——切り離しで「買える相手」が変わる

効果を数字で見てみましょう。営業利益2,000万円の製造業で、時価2億円の本社工場を保有しているケースです。

不動産込みで売る場合、価格の目安は時価純資産(不動産含む)3億円+営業権6,000万円=約3億6,000万円。この規模になると、買い手は資金力のある中堅企業以上に限られます。

不動産を切り離し、賃借に切り替えて売る場合、事業会社の価格は時価純資産1億円+営業権(賃料負担で利益がやや減るとして)5,000万円=約1億5,000万円。投資額が半分以下になることで、同業の中小企業や個人投資家まで買い手候補に入り、競争環境が生まれます。オーナーの手元には売却代金に加えて、時価2億円の不動産と年間賃料(仮に年800万円)が残ります。

総受取額の単純比較ではなく、「成約のしやすさ」と「売却後の安定収入」まで含めた設計の違い——これが切り離しの本質です。

切り離しのタイミングが重要

いずれの手法でも、動き出すタイミングが早いほど選択肢が広がります。買い手との交渉が始まってから慌てて不動産を動かすと、税務リスクの検討が不十分になったり、買い手に足元を見られたりします。理想は、売却活動を始める前の準備段階で、不動産の時価評価と切り離しの要否を検討しておくことです。会社全体の価値の把握とあわせて、会社売却の相場はいくら?もご覧ください。

切り離し自体のコストも忘れずに

最後に、公平を期して切り離しのコストにも触れておきます。不動産を会社から個人や別会社へ移す際には、譲渡する会社側で含み益への法人税等、受け取る側で不動産取得税・登録免許税、そして移転の形によっては消費税が発生し得ます。時価2億円・簿価3,000万円のような含み益の大きい物件では、切り離しの税コストだけで数千万円になることもあります。

つまり、「切り離せば必ず得」ではなく、切り離しのコストと、切り離しによる成約可能性・価格・売却後の賃料収入の改善を天秤にかける意思決定です。会社分割の税制適格要件を使えるか、譲渡のタイミングをいつにするかで、このコストは大きく変わります。だからこそ、この論点は売却活動の開始前に、税理士等の専門家と数字で詰めておくべきなのです。

まとめ——不動産は「売る・残す」を選べる

会社を売ることと、不動産を手放すことは、切り離して考えられます。事業は次の担い手に託し、不動産は家族の資産として残す——そんな設計も十分可能です。不動産をお持ちの会社ほど、売却の設計は早めの検討が効きます。

当社は公認会計士事務所として、切り離しの税コスト試算とM&Aの価格設計を一体でお手伝いできます。不動産と事業、それぞれの時価を把握したうえで「込みで売る・分けて売る・分けて残す」の3案を数字で比較する——それが不動産オーナー企業の売却検討の正攻法です。

事前相談は無料・秘密厳守です。/contact からお気軽にご相談ください。