中小企業のM&Aで会社の値段を考えるとき、土台になるのが「時価純資産」です。決算書に載っている純資産(簿価純資産)をそのまま使うのではなく、資産と負債を今の価値に評価し直した金額を指します。簿価と時価の差は思いのほか大きく、評価し直した結果、会社の価値が簿価より数千万円単位で増えることも、逆に目減りすることもあります。本記事では、時価純資産の考え方と、簿価から調整すべき代表的な項目を解説します。
簿価純資産と時価純資産の違い
貸借対照表の純資産は、「資産-負債」で計算される会社の正味財産です。ただし、そこに載っている資産の多くは取得したときの価格(簿価)で記録されており、現在の実際の価値とは一致していません。20年前に買った土地は当時の価格のまま、回収できる見込みのない売掛金も額面のまま、という具合です。
M&Aの買い手が知りたいのは「今この会社を引き継いだら、実際にいくらの正味財産があるのか」です。そこで、資産・負債を一つずつ時価に洗い替えたものが時価純資産です。年買法(時価純資産+営業権)の土台となるほか、デューデリジェンスでも同じ観点から資産内容が精査されます。
プラスに働く含み益の代表例
簿価より時価が高い資産を持っていると、時価純資産は簿価純資産より大きくなります。代表的なのは次の項目です。
- 不動産の含み益:昔に取得した土地は、簿価が現在の実勢価格を大きく下回っていることが多い。都市部の本社・工場用地は含み益の典型
- 保険積立金:法人契約の生命保険は、貸借対照表の資産計上額より解約返戻金が大きい場合がある
- 有価証券の含み益:取引先株式やゴルフ会員権などで、取得時より値上がりしているもの
- 償却済み資産:帳簿上はほぼゼロでも、実際にはまだ稼働・売却できる機械や車両
マイナスに働く含み損・簿外負債の代表例
一方で、簿価より実際の価値が低い資産や、帳簿に載っていない負債があると、時価純資産は簿価より小さくなります。買い手のデューデリジェンスで必ず確認されるのは次のような項目です。
- 回収不能な売掛金・貸付金:長期滞留している債権、実質的に返済見込みのない役員・関係会社への貸付金
- 不良在庫:長期間動いていない在庫、陳腐化した商品。帳簿価額での売却は見込めない
- 不動産の含み損:地方の遊休地など、簿価を下回る物件
- 退職給付債務:退職金規程があるのに引当金を計上していない場合、将来の支払義務が簿外負債になる
- 未払残業代・訴訟リスク:帳簿に現れない偶発債務
調整のイメージ——簡単な計算例
簿価純資産8,000万円の会社で、本社土地に3,000万円の含み益、保険積立金に500万円の含み益、一方で回収不能な貸付金1,000万円、退職給付の引当不足800万円があったとします。時価純資産は8,000万円+3,000万円+500万円-1,000万円-800万円=9,700万円。ここに営業権を加えたものが株式価値の目安になります。逆に含み損側の調整が大きければ、簿価を下回ることもあります。
調整項目 | 金額 |
|---|---|
簿価純資産 | 8,000万円 |
土地の含み益 | +3,000万円 |
保険積立金の含み益 | +500万円 |
回収不能貸付金 | -1,000万円 |
退職給付引当不足 | -800万円 |
時価純資産 | 9,700万円 |
なお、厳密な評価では、含み益に対して将来課税される法人税等相当額を控除する考え方もあります。どこまで精緻に計算するかは評価の目的によって異なり、交渉初期は概算、基本合意後のデューデリジェンスで精査、という段階を踏むのが一般的です。
売り手が事前に把握しておくべき理由
時価純資産の調整項目は、放っておくと買い手側のデューデリジェンスで一方的に「発見」され、価格の減額材料に使われます。逆に、売り手が事前に自社の含み損益を把握し、不良債権の処理や在庫の整理を済ませておけば、減額の口実を減らし、含み益は根拠を持って主張できます。交渉の主導権は、自社の数字を先に知っている側が握るのです。
時価純資産がマイナスになったら売れないのか
調整の結果、時価純資産がマイナス(実質債務超過)になる会社もあります。しかし、それで売却の道が閉ざされるわけではありません。年買法の考え方では株式価値は「時価純資産+営業権」ですから、収益力が十分にあれば、純資産のマイナスを営業権が上回って株式に値段がつくことがあります。たとえば時価純資産が▲2,000万円でも、実質利益2,000万円×3年=6,000万円の営業権が認められれば、差し引き4,000万円の評価が成り立ちます。
また、収益力でカバーできない場合でも、事業譲渡や会社分割で優良な事業部分だけを切り出して譲渡する方法があります。買い手にとって価値があるのは会社の「箱」ではなく事業そのものだからです。債務超過だからと廃業や破産を選ぶ前に、事業単位での承継の可能性を検討する余地は十分にあります。重要なのは、簿価の数字で悲観する前に、時価と収益力で自社の現在地を正しく測ることです。実質債務超過の会社の売却はスキーム設計の難易度が上がるため、検討する場合は初期段階から専門家に相談することをおすすめします。
よくある質問
Q. 不動産の時価はどうやって調べればよいですか。
概算レベルであれば、路線価(国税庁が公表する相続税評価の基準額)を0.8で割り戻して公示価格水準に近づける方法や、近隣の売買事例・不動産会社の査定を参考にする方法があります。より厳密には不動産鑑定士による鑑定評価がありますが、交渉の初期段階では概算で十分です。工場や店舗など事業用不動産は、事業を継続する前提での価値と更地としての価値が異なる点にも留意してください。
Q. 役員借入金(社長が会社に貸しているお金)はどう扱われますか。
帳簿上は会社の負債ですが、オーナー系企業ではその実態が資本に近いことも多く、M&Aでは取り扱いを個別に設計します。譲渡と同時に会社から返済を受ける、債権放棄する、株式対価と一体で調整するなど複数の方法があり、どれを選ぶかで経営者の手取りと税負担が変わります。役員借入金が大きい会社は、スキーム設計の巧拙が手取りを左右する典型例です。
Q. 簿外債務が後から見つかったらどうなりますか。
株式譲渡の場合、最終契約書には通常「表明保証」条項が入り、売り手は開示した情報が正確であることを保証します。契約後に未開示の債務が発覚すると、補償請求や価格調整の対象になり得ます。つまり、隠しても後で自分に返ってくる仕組みです。ネガティブな情報ほど早めに開示し、価格や条件に織り込んで合意しておくほうが、結果として売り手を守ることになります。
実務のポイント
時価純資産の把握は、決算書と固定資産台帳、保険証券、路線価や近隣の取引事例があれば、概算レベルなら自社でも着手できます。まずは大きな含み損益がどこにあるかを掴み、そのうえで精緻な評価や磨き上げの優先順位を専門家と検討するのが効率的です。評価は目的(交渉用・税務用)によって手法が異なる点にもご注意ください。
時価純資産ベースの概算価値を3分で確認
簡易株価診断では、純資産と実質利益を入力するだけで、時価純資産+営業権の考え方による会社の概算価値を試算できます。入力データは送信されず、ブラウザ内で計算されます。※診断結果は概算であり、税務申告や財産評価には使用できません。